さーて今週もまた学校でやんす。今日は普通に財政の授業に行って中学からの同級生に会って話したー いやーまたここで会うのも偶然だなー その後はベンチャー企業クラブの今学期初のミーティングに行って、思ったより楽しかった!5分間で全く知らない人達とストローで一番高い建物を作らなきゃいけないっていうのがあってさー!たのしすたのしす
昨日はルームメイトと運命論の話をしててちょっと盛り上がった!彼女は昔、運命論を信じてどの出来事も、どの出会いもこの先のことに繋がってると思ってたらしい。とある週に悪い事が起きまくって「運命と言うより、ただの偶然にしが過ぎないんじゃないか」と言う感じの結論に走ったらしい。最初はそのアイデア自体に批判を持った自分だったけど、後から考えたら自分が今思う理論とあまり変わらないことに気付いた。
色々な角度から見たらきりがない訳だけど、自分は大分前にこういう結論にたどり着いた:出会う人間は運命に含まれてて、出来事は運命に含まれていない。つまり、もしかしたら生まれた時からこの先出会う人達はすでに決められてあるのかもしれない(決定論)。ただし、自分が何をするかは自分次第(自由意志)でその結果や出来事は偶然であるということ。(まぁ、自由意志そのもの / 運命 は人間の脳が作り上げた「幻覚」という結論にもたどり着ける訳だけど…それはさて起き)
つまり、たとえで言ったらこういうこと:俺が今日食堂で初めて会った田村誠一は、今日食堂に行って食べなかったとしても、この先どこかで会ってたんであろう。この出会いを大切にするかは自分と相手次第ということだ。
ここでちょっとした問題が起きる。自由意志は何かを起こす度に決定論の方向を変えるのか、それとも決定論はそのままぶれずに続くのかってこと。それと、ポジテブな考えとネガティブな考えによって自由意志で決められる選択が変わるのだろうか(行動に限る、半分自由意志と半分決定論?)
何でこんな話題で熱くなるのかと言うと、過去の恋人や仲いい友達、もう縁がない人達とでさえ奇跡的な出会いがあったからなんだけどね。
皆がよく言う「運命」の人ってのは、すでに何回も見逃してるのかもしれないし、この先会うのかもしれない。そう考えると不思議だね。


